野党の役割

最近、菅義偉官房長官の記者会見において、野党議員ばりの舌鋒鋭い質問を飛ばすとして東京新聞の望月衣塑子記者が話題になっています。

しかし本来そこから感じられるべきことは、「この記者は勇敢で素晴らしい」ということでも、「女性なのに頑張っている」ということでもないのではないでしょうか。つまり、「野党議員のような」質問を飛ばす記者が取り上げられる時、当の「野党議員」は何をしているのか、ということです。

「安部一強」と言われて久しいですが、それ以前から振り返ります。

主に日本の政治というのは、所謂55年体制が構築された後、自民党が政権を取っているが、時々国民がそれに辟易して野党に政権を渡す、ということを繰り返してきました。実際には、「繰り返す」と言えるほどの回数を繰り返されたわけではないのですが。

そこにあった構造は、与党として君臨し続ける自民党に対する単純な「飽き」かもしれませんし、自民党内の一種の歪みのようなものに対する反発かも知れません。とりあえず、「自民党ではいけない」という考えが時々あって、その都度、「自民党主流派らしくない」人が注目を浴びたり、「自民党ではない」人が取り上げられたりするわけです。

しかしそれが長続きはしない。これは一種の矛盾した構造ですが、自民党があまりに長く政権を取りすぎたがために、自民党以外の政党が政権を握っても上手くできない。ノウハウがないというのもありますし、行政の側に立つような育ち方をした議員が野党にはいないということも問題なのでしょう。

直近で言えば民主党政権。直前の自民党政権は、ほとんど1年に1人というような感じで総理を交代させていたわけですが、その流れは民主党政権でも続きました。事業仕分けなど、一種のパフォーマンス的に見栄えのすることはやったけれども、例えばそういうことのしわ寄せが今になって露呈している。彼らには行政担当能力が無かったか、かなり低かったということでしょう。

その反動から、「やっぱり自民党」という流れで安倍自民党に政権が回って来た上、基本的には経済政策の成功で維持されてきたと考えるべきでしょう。

そんな中野党の議員は、居場所を失ってしまった、という感が否めません。民主党の記憶が無くならない限り、民主党民進党と名前を変えたとしても、国民は野党を与党としては選ばないでしょう。つまり彼らには、国会の議決に参与することすら出来ないという葛藤がやって来る。

好例が、「強行採決」とのレッテル貼りでしょう。これは言わば、「私たちは反対した!」という野党のアピールであって、彼らの劣等感の裏付けとも言えます。

それと裏腹にあるのが、野党と、市民団体の連携です。SEALDsなどがその例ですが、彼らは国会前でデモをする、国会議員は採決の合間にそこにやってきて、演説をする。彼らが同じ場所で並ぶ。確かに一見すると「国民は怒っている」、そして野党議員は「それを代弁している」というような構図が見えるわけですが、静観していると、そうではないのが分かります。

国会議員とは、本来権力者です。日本国内に唯一の立法機関に国民の代表として送り込まれた権力者であるべきです。裏を返すと、彼らはあらゆることを「出来る」人。実質的な能力を持たず、国会前でデモをするしかない人々とは決定的に違うはずです。でも野党議員は、そういう市民と同じところまで自らの地位を貶めた。

メディアとの関係で言えば、野党議員の地位低下は明白です。野党議員が、週刊誌のコピーを資料に政府に質問する。「新聞にこんなことが書いてあります」と質問する。全く馬鹿馬鹿しい話ですが、政治家の本職であるはずの「政治」「政策」という話を離れて、メディアに使われる存在に落ちぶれてしまった。彼らに与えられている政府への質問の時間。権力を背景にしたその時間を、メディアの使いっぱしりとして浪費しているのです。議員の記者化、と言っても差し支えないかもしれません。

一方で、記者の方はと言えば、自分のやっていることが議員に影響を与えると味を占めた。そうなると記者の議員化が止まりません。自らを「国民の代表」などと勘違いして、議員のような質問を飛ばす。本来メディアがなすべきことは、真実を追及することであって、そのつまるところの審議判定や価値判断は国民自身が行うべきことなのですが、それすらも「代わりにやってあげる」というのが今のメディア。もちろんそうしたメディアも普通の一般企業と変わらないのですから、その構造は恐ろしいものです。

ではその元凶はどこにあるのか、と言えば、それは議員にあると言って間違いないでしょう。「どうせ政権は取れない」という諦めのようなものが、野党議員自身から「議員の特殊な地位」を奪った。政治をやるべき政治家が、いつの間にかスキャンダル追及の記者のようなことをやっている。それが全ての歪みの元凶です。