04『陽気なギャングが地球を回す』

陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)

陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)

 

伊坂幸太郎、ここに極まれり。とまで言うつもりはありません。もうある種、伊坂幸太郎先生の作品は形式美・様式美にまで達していると思うのです。それは内実を伴っていないという意味では無くて(むしろ、形式を踏襲しつつ毎回面白いのは驚嘆すべきところですが)、何度何を読んでも爽快。

例えば、「トムとジェリー」というアニメを見る人は、もう大体が、どうせトムとジェリーが喧嘩することを知っている。けれど見続けるのは、それ形式を踏襲しつつも、いつも面白いから。「ドラえもん」でのび太はいつもドラえもんに助けを求める。その構造は変わらなくても、そこでドラえもんがどんな道具を持ち出すかが楽しくてたまらない。

道具、と言うのは言葉のチョイスになるんだろうか。Twitterなんかではたまに、色々な文章を個性的な文章を書く作家調に表現してみるというのが流行ります。取り上げられやすいのは村上春樹先生。確かに翻訳調で、確固としたユニークな文体を持っていらっしゃるかもしれない。最近はそこに伊坂幸太郎先生の名前を見ることも多くなりました。独特のテンポを持った小説をお書きになると思います。

最初に割り算の話が出てきます。0で割ってはいけない、という話。「答えは無限大だ」だとか「厳密には解無しだ」だとか言いますが、この本での解釈は面白い。「ギャングが分け前を分けられないからダメ」という。もちろんこれはとんでもない話で、それを本当だとすると小数や分数を使った割り算が出来なくなってしまうわけですが、面白い考え方ですね。

話を続ける。「とにかくだ、せっかく盗んだ金を一人も手にしないなんてことが起きると世の中はくるってしまうってわけだ。2=1などという、ありえない世界がやってくるんだ。この世の終わりだな」

これは冒頭部分、慎一に割り算を教える響野のセリフ。中学・高校数学では、文字を割る数に割り算をする際には、その文字が0では無いことを示す必要があるのですが、この直前ではそれを忘れて、2=1という計算式が成り立ってしまいました。世の中が狂ってしまったわけです。

とことんこの通り、と言うか、この部分にこの1冊は凝縮されていると言っても良い。

銀行強盗4人組は、銀行強盗をする。けれど、その金を手にすることが出来ない。そこから物語が歪みだす。

しかし全く、この4人組しかり、あるいは地道や神崎しかり、その纏っているオーラには独特のものがある。これは『オーデュボンの祈り』でも同様だったが、描かれる世界はリアルなようで、リアルではない。そこに生きる人物もまた、本当にいそうで、しかし実際には絶対にいないという確信がある。それこそが伊坂幸太郎先生の魅力だと思ういます。

果たしてそこから一体どれだけの寓意を拾い上げれば良いのか、ただし優れた文学と言うものは作者の手を離れ多くの意味を見出されるものですから、大変悩ましいところです。

成瀬の息子のタダシ。彼は自閉症で、成瀬と別れた妻と新たな父親と共に暮らしているわけですが、彼のセリフは、まるで未来を予測しているようだ。『オーデュボンの祈り』に登場するカカシに共通点を見出すことが出来るかもしれない。伊坂幸太郎先生は、そうして未来を知っている存在を信じているのかもしれないし、運命論者なのかもしれない。

主人公たちは銀行強盗をする。『オーデュボンの祈り』で主人公はコンビニ強盗に失敗しており、『ラッシュライフ』ではコンビニ強盗に成功したという。伊坂幸太郎先生は強盗を描くのが好きなのかもしれない。

伊坂幸太郎先生の作品を読んでいて面白いのは、ワクワクするところ。誰かが死に、その犯人を見つけ出す形のミステリーで無かったとしても、騙されまいとして先を読む。読者として、精一杯作者に挑む。けれどもその結果は大抵敗北に終わります。それがまた爽快。負け心地が良い。

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