03『オーデュボンの祈り』(伊坂幸太郎・新潮文庫)

 

オーデュボンの祈り (新潮文庫)

オーデュボンの祈り (新潮文庫)

 

 伊坂幸太郎先生の作品は『ラッシュライフ』と『ゴールデンスランバー』を読んだことがありました。どちらもとても面白かった。緻密に編み上げられる世界、それが緩やかに美しく解かれていく様子。ただ一方で、そういう本は一気に読んでしまいたいという我が儘もあって、その2冊を読んだ後は、時間がかかっても良いような本ばかりを選んでしまって、伊坂幸太郎先生の作品からは離れていたのですが。

しかしやはり、流石。何だかとてもファンタジーのようでいて、でも何かそうではないような雰囲気もある。物凄くリアルな世界の中にいる気がする。そういう不思議な世界、否、島。

別にそのファンタジーさには解が与えられない。与えられる必要はない。乱暴な例えかも知れませんが、西洋哲学で「存在」というものが前提条件として扱われていたような風に。ハイデガーのような人が現れてそれに疑義を呈するものの、そんなものそれを前提とした人々には関係ない。

近頃よく思い出す言葉があります。どこかで聞いた言葉。完全に暗記したわけではありませんが、「詩は定義するためにある」というような言葉です。詩というのはそれ全てをかけて何かを定義しているのだという話です。「何か」と言うのが何なのか、それは問題ではありません。辞書に「みぎ【右】明という字の月の方」みたいな、そういう丁寧な定義では無くて、それ自体としか言えないものに、それ自体の定義を与えるのが詩、あるいは小説なのではないかと思うことがあります。ひどく抽象的ですが、最近小説を読んでいて、読んだ後、心の中にそれが丸ごとドスンと残っていくような感じがすることが増えました。

今回もそれです。小説のこの部分が心に残った、ここが面白かった、というのではなく、もう全体として心の中に残ってしまう。変な感じです。1冊読んだ、という感じ。読者としての自分が成熟したのかもしれませんし、全然そうではないのかもしれませんが。

文庫の解説にあった通り、ここに何らかの寓意を見出すのは無意味であり、徒労に終わるかもしれません。しかし、優れた文学とは作者を読者に貶めてしまうものですから、作者以上の解釈が出来るかもしれないと、一応寓意を見出してみたいと思います。

「桜」という登場人物が気にかかりました。イントネーションは、女の子の名前の方ではなく、樹木の名前の方。当初は彼が「警察」の寓意を受けた存在かと思いました。警視庁が桜田門あたりに存在することもあって。別に警察は存在するのですが、桜は何らかの尺度を持って悪人を殺すことを認められている存在です。彼が誰かを殺したとしても、それは、津波に人が飲まれて死んだだとか、噴火の被害で死んだだとか、そういう災害と一緒にされる。

しかし或いは、と思うのです。「権力」という寓意を表した存在なのではないか。この島には特定の権力者がいない、緩やかな統治の上に成り立っている島です。統治と呼べるものなんて存在しないかもしれない。しかし普通に生きる私たちは「権力」を受け入れてしまう。「どうして税金を払うの?」だなんて誰も思わない。あって当たり前。火山が100年ぶりに噴火する、地震で家が傾く、国家が徴税する、全部同じ、誰もそこに疑義を呈さない。

彼はとても不思議な存在です。彼がどんな尺度を持って人を殺しているのかはさっぱり見当がつきません。

優午というのも見当がつかない存在。答えが強く示唆されて小説は終わりますが、それが答えであるかは明らかにされない。それでいてモヤモヤした感じはない。さすが伊坂幸太郎先生という感じでもあります。優午という存在が、島の中で溶け込んでしまう、その様子を描くことが、果たして他の作家に出来ただろうか。

優午は謎を残しました。実際には150年ぶりに島にやって来た外の人間は2人ではなかった。4人でした。うち2人は死ぬわけですが、それにしたって4人です。優午はそれを知らなかったわけではないでしょう。2人のうち1人が島に欠けているものを残していくと言うのだから、間違いない、その2人は伊藤と静香でしょう。となると、残りの2人はどういう勘定になるのか。

ただ一方で、優午についてあまり深く考察してしまうのは、この小説をずっとつまらなくしてしまう、という気がします。優午にどの程度深い考えがあったのか。曽根川を殺そうというところには作為があったかもしれませんが、じゃあどうして未来について語らなかったのか、と聞かれれば、きっと「先のことなんて知らない方が楽しい」に尽きるんじゃないでしょうか。別に世界はそこまで理詰めで出来ていない。

城山という人間は、存在それ自体がフラグのような風。伊藤を島に導くのも、静香を島に導くのも、あるいはもっと俯瞰してみて、音楽を島に導くのも、きっかけは城山。もう一つ付け加えると、物語を終わらせるのも城山です。彼についてはほとんど深い描写はない。けれど彼が担った役割は大きい。彼が死んだ、ということに優午の作為があるのだとしたら、とても興味深い。

さて、島に欠けているものがもたらされたところで、果たして島はどう変わるのか、あるいは変わらないのか。

個人的には変わらないんだろうと思います、急速には。優午がいなくなったことで、誰かが島の外に出ようとするかもしれない。しかしもうそれはそれとしか言いようがない。それほど急速には変わらないものです、ゆっくりと、着実に島は変わっていくのかもしれない。豊かな音楽と共に。

 

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