02『教団X』(中村文則・集英社文庫)

 

 

教団X (集英社文庫)

教団X (集英社文庫)

 

なんだか近頃売れているらしい、との噂を聞きつけて買いました。元々個人的に宗教というものに興味があり、論文なんかを読んだわけではありませんが、自分なりの宗教論のようなものは体系的に構築されているつもりです。その宗教論を試してみる意味でも、他の人の描く宗教というものに興味があって読んでみました。

読んだ方は分かるに違いありませんが、別にこれは宗教の話ではない──そう言うと誤解を招きそうですから、厳密にいうと、これは「世俗的な宗教を描いたわけではない」ということです。つまり、ある教団があって、その教団の組織を描くとか、そういう話ではない。舞台に宗教が選ばれたのは、実際にはそこを起点にしてもっと深い話をするためであって、別に宗教の組織構造の話をするわけではない。 

 その中で、「人間の本質」のようなものに触れようとする場面がありました。科学と古代宗教が巧みに融合される中で、ブッダ死後の仏教やキリスト死後キリスト教草創期など以後に見られる、極めて恣意的な中に構築された宗教を否定してしまう。否定、というのはもしかすると言葉の選択を誤ったかもしれませんが、少なくとも小説の中で書かれる人間論は、キリスト教などのいわゆる三大宗教のような宗教からは逸脱している。

作中何度か政治的発言が出てきますが、これに関しては何とも言えません。自分のイデオロギーと相いれるものではなかったために良い心地はしませんでしたが、文学は文学であって、政治の主張をするためのものではない。ましてやこれは政治小説ではない。その傍流に着目するのはおかしな話です。作中発言される政治論は、ステレオタイプ的な保守論客が途中発言するのを除いて、ほとんどリベラルで、結局「日本は」みたいな主語を置くことで、何だか作品のスケールが大きいのか小さいのか分からなくなってしまう。これに関しては中村文則先生本人のイデオロギーが大なり小なり反映されたものと判断して良いと思いますが、その浮ついた政治論議が必要であったかと言えば、無かったかもしれません。

ですからやはり、この小説の本質は「人間とは何か」に見出すより他に無いのではないかと思うのです。この小説のストーリーを書き出してみると、案外それが貧弱なものであることに気が付きます。同じ師から2人別れて、それぞれ考え方が違い、片方は朗らかなイメージがあって、もう片方は破滅への道を進む。

個人的に興味を持ったのは、作中Rと言及される宗教です。はっきりと作中に名前が出てくるのですが、そうすると何だか陳腐な感じがしてしまうので、Rの方が個人的にはしっくりくる気がします。

その教義はとても興味深かった。二元論を否定しているというところがそうでした。二元論は相対的なものであるはずなのに、宗教では多くの場合絶対化される。善悪みたいな絶対的な二元論は、分かりやすい反面で陳腐な風もあります。しかしRはこれを否定する。これは興味深かった。

その一方残念だったのは、このRが二元論を否定する一方で、作品は松尾のグループと沢渡のグループが二元論的に対立させられること。本当はそこから離脱してほしかったけれど、松尾のグループは何だか良い人たちばかりで、沢渡のグループの方はあくどいことをやる変態連中、みたいな二元論が出来上がってしまう。教祖の特質によって善悪という二元論に配分されるというところに、ほんの少しだけの不思議さを感じました。

作中興味深い言及はいくつかあるのですが、それはほとんど全て私たちの知らなかったことだと思います。何だか物凄く深い谷底に興味を持ってしまったような、これから何だか凄い秘密を暴いてしまうようなワクワク感がある一方、そのワクワク感は持つだけ無意味だったことにその後気づきます。人間は意識より先に脳が決定している、なるほど。しかしそれでほとんど作中の人物は納得してしまっている。そんなことありますか。もっと素朴に疑問を抱く人物がいたっておかしくない。ワクワク感と言えば、ビッグバンと、それに関連する運命論はワクワクしました。ビッグバンの瞬間、全ての運命は決まったのかもしれないし、決まっていないのかもしれない。人間の主体性の無さに絶望してしまいそうになりますが、とても面白い。

そうした物凄いものを探索しているような風がある一方、それは投げっぱなしにされ、到着したのは教科書的な「良いこと」でした。「偽善」と言っても良いのかもしれない。そこに何か欲望があるとかではなくて、「もうそれでいいじゃない」みたいに諦めたような「良いこと」。これがゴールか、と思うと少し寂しい気もします。

二元論について先ほど少し触れましたが、小説を読むと多くの人は「面白い」「つまらない」という二元論を持ち出し、その尺度の上で価値判断をしてしまいます。自分もその1人です。

しかし今回不思議だったのは、その価値判断が作用しなかったこと。この小説を「面白い」と言うことも「つまらない」と言うことも何だか不適当に思えたのです。もしかするとこの作品最大の魅力はそこにあるのかもしれません。

 

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