膨張する国家

国家なるものの特性

国家というものは本来的には膨張したがるものである、と考えなくてはならないでしょう。

太古の時代、日本の歴史教科書では「クニ」と書かれるような小国が群立していた時代があるます。その時国家が膨張したのは、短絡的に富を求めるものであったということになるでしょうが、この場合これを「国家」と呼んで良いものかは疑問です。我々が想像するような国家体が構築されたのはせいぜいここ数百年のことで、それ以前はより短絡的に必要の上で構築された社会的集合体と言うより他にないでしょう。

「国家」が構築されたのはいつ頃でしょうか。古代エジプトにおけるファラオ、古代中国における王──皇帝、日本における天皇、そういったものが君臨し、権力構造が明確化してきたときに「国家」となるのでしょうか。答えは、そうであるかもしれないし、そうではないかもしれない、としか言えません。現在言うところの「国」「家」というのはフランス革命あたりから大きく変質したのかもしれません。

個人的に国家が膨張したがる要因としては、「主権者が意図を政治に意図を反映させられるようになる」というのが前段にあるのだろうと思います。例えば主権者が何らかの君主なのであれば、その君主の意志によって国家は膨張します。君主が国家を膨張したいと直接的に思うこともあるかもしれないでしょうが、わざわざ国家を縮小したいとは思わないはずです。そうした意志を持つ国家があると戦争が起き、国家を膨張させようとしなくても自衛戦争のつもりだったのが戦勝の結果領土を得て膨張する場合も考えられます。

主権者が国民である場合はどうでしょう。ここで大切なのは、主権者が「国民」ということです。これはかなり特殊な意識で、国家体なるものは明確な物理的存在ではないものの、なぜか人々はそこに所属しているという意識を持ちます。この場合、国民が国家を膨張させようとすれば、国家は膨張したがることになるのですが、あまりに「国民」というのは抽象的すぎます。

「国民」は抽象的でしょうが、これは単純に「世論」と置き換えられるとも限らない。と言うのも、まさにその時代は「世論」だったとしても、後から振り返って見ると、それがなんだか狂気めいたものに見られ、それに「世論」なる語を当てることがふさわしくないと思えてしまう場合があるのです。

例えばナチス・ドイツの例ですが、ナチスドイツ国民の世論によって政権を握りました。ところで我々があれを「世論」と呼ぶのには抵抗感があります。おそらくその抵抗感の源というのは、「世論」というものが民主主義を彷彿とさせるので、あの狂気を民主主義と呼んで良いものかという抵抗感に繋がるのだろうと思います。

おそらくこの辺りの定義は政治学的にも及んでいないでしょうから、やはりこれを「世論」と呼ぶより他にないわけですが、主権を国民が有する場合、これはやはり国民が望むと国境が膨張したがるということでしょう。

 

グローバリゼーション

国家とは国境を膨張させたがるものである、とすると、グローバリゼーションを全く違った概念でとらえられます。

国家は膨張したがるものですが、世界は既にそれに挫折しました。第二次世界大戦です。

第二次世界大戦ではドイツもイタリアも国境を膨張せんとしましたし、日本も、それが自衛のためであったとはいえ、影響圏を拡大させようとしていたことは間違いありません。ついでに言うと、ロシアも領土を拡大させようとしたわけです。

この傷は深いものでした。世界中の国々が傷を負いました。これは必ずしも兵器が、あるいは兵士がということではなく、戦争というものに倫理的な自制が求められるようになった。おかしな話ではありますが、戦争の理由に妥当性が求められるようになった。そもそも戦争に倫理なんて持ち込むのがおかしいとは思いますが、世界の流れはそうです。

次に起きた流れは、戦争ではない方法で国境を膨張させようというものでした。戦前にも、第一次世界大戦後に国際連盟なんてものが出来ましたが、これは発達する国際社会の中で必要に応じて組まれたもので、国境膨張に資するようなものではありませんでした。

つまり、国境を膨張させようという意識には影響力を拡大したいというものがあるわけですが、国家間の主権を統合していく中で影響力を他国にも及ばす形で、国境とは一致しない影響圏の膨張を試みたのです。

例はEUです。EUは経済的に日米に台頭するという意味合いもありますが、それが政治的連合に発展した背景にはやはり国境の膨張というものがある。

この辺りから分かるように、グローバリゼーションなるものは、必ずしも国境を失くすという話ではありません。グローバリゼーションは影響圏の話であって、国境の話ではない。

むしろ国境を安易に失くしてしまおうとすると国際体制が揺らぎかねません。

植物の細胞などを例に取れば分かりやすいですが、植物細胞は細胞壁を持っていて、動物のものとは違って固い。野菜を食べた時にシャキッと鳴るのはそういう理由です。国家も同じで、国際社会が保たれるためには、細胞壁が確固としたものでなくてはならない。

 

世界の潮流

では世界のこの潮流にはどういった背景があるのか、ということです。

既に感じておられるかもしれないですが、国境と影響圏が一致しないなどということは、詭弁です。その体制を保つのは難しい。というのは、この影響圏を他国の国境内にも及ぼすということには、その他国の意志と自国の意志が一致しなくてはならないという前提が存在するのです。こんな難しいことはありません。

アメリカが世界の警察を辞めた、というのは簡単な話で、そもそもアメリカは決して他国に影響力を及ぼそうとする国ではありません。せいぜい自分がしっかりしていればいいと考えるような国なのです。それが世界の警察にまでなろうというのの背景には米ソ冷戦がある。その米ソ冷戦の背景には資本主義と共産主義というイデオロギーの対立すらある。これがあってこそアメリカは影響圏を拡大しようとできたはずだし、他国もそれを受け入れた。しかし米ソ冷戦は終わって、米ロ対立なり米中対立なりしたとしても、それは決してイデオロギーによるものではないので、アメリカは元に戻っただけです。これをモンロー主義と言ったりするのでしょうが、そもそもアメリカ人はそういう性向です。彼らは影響圏を拡大しようとしなくたって影響が世界に及ぶことを知っているのです。

イギリスがEU離脱を決めたのは、まさしくイギリスがEU内において持っていた意志と、他国が持っていた意志が一致しないために起きた出来事です。イギリスという国境の明確な国と、その影響圏の不一致が問題になる。経済の話ではEUにいて利益があるかもしれないものの、この政治的な影響圏の矛盾を消化しきれない。

ドイツはEUにおいて盟主と言って良いでしょうが、ドイツは影響圏を膨張させて喜んでいる方の国です。自分の思った通りにできる。別に他国との意志の差異を問題にするまでもないのです。

世界のその潮流は今後も続くでしょう。

国境を膨張させようと戦争し、その後戦争に倫理を求めることで、戦争という手段が用いられづらくなったように、国境とは離脱した影響圏を膨張させる流れも、その矛盾した概念の中で衰退していくのでしょう。

 

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